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街歩き 車窓風景 山歩き
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日々の出来事や、趣味の街歩き、山歩きのことなどを綴ります。
 ブログネーム:車窓
   年 齢  :56歳
   性 別  :男
   家 族  :妻、長男、長女
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伊和神社 白兎海岸 但馬牧場公園

2018/10/16 21:32
先週末、家内、娘と私の三人で、西播磨、因幡、但馬方面をドライブしてきました。
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朝7時頃に車で出発し、新名神、中国道経由で山崎インターまで行き、国道29号で宍粟市一宮町の播磨一の宮 伊和神社にお参りしました。
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国道沿いに並んでいるのは秋祭りの飾りでしょうか。
神社の前だけではなく、かなりの広範囲に、様々な色のこんな飾りが並んでいました。
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山崎インターに戻り、中国道、鳥取道を経由して鳥取を目指しました。
「道の駅清流茶屋かわはら」で小休止。
川向こうに河原城の模擬天守。
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鳥取の賀露港に11時頃到着し、ここで早い昼食を摂りました。
水産物の直売店に併設されている「賀露港 市場食堂」。
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家内は「かに丼」
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娘は「うにいくら丼」
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そして私は「海鮮うにのっけ丼」
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水産物の直売店には新鮮な魚介類が並んでいて、かなりのお買得品もありましたが、帰宅するまで鮮度を保つのはちょっと無理と考え、今回は残念ながらパスしました。
次回は、クーラーボックスに保冷剤を放り込んで来ることにします。
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国道9号を西に走って、因幡の白うさぎで有名な白兎海岸を訪ねました。
右が白うさぎが流された淤岐ノ島、左が白うさぎが鰐ざめの背中を飛び跳ねて戻ってきた気多ノ前岬。
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海岸のすぐそばには白兎神社が鎮座しています。
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参道にはうさぎの乗っている石柱が並んでいます。
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道を挟んで海沿いにある「道の駅 神話の里 白うさぎ」。
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駐車場の入り口に大国主命と因幡の白うさぎの像が建っています。
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来た道を東に戻り、千代川を渡って鳥取バイパスを岩美インターまで走り、ここから国道9号を南下して兵庫県に入り湯村温泉の端っこをすり抜けて、但馬牧場公園に到着しました。
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冬はゲレンデになる芝生広場。
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頂上付近で牛が草を食んでいました。
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動物と触れ合うことが出来ます。
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こちらは、終業時刻が近づいて、職場の出口で待ち構えている面々。
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ヤギさん、ヒツジさんの通用門。
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帰路は、国道9号で八鹿まで行き、そこから自動車専用道路に乗って、北近畿道、舞鶴道、中国道、新名神と経由して3時間弱で帰宅しました。
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東海道関宿 鈴鹿 御斉峠

2018/10/09 08:37
10月8日、三重方面にバイクでツーリングに行ってきました。
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新名神、名神、また新名神と乗り継いで、甲賀土山で一般道に下り、国道1号を鈴鹿峠方面に走りました。
峠の滋賀県側、昔で言うと近江側の土山宿。
こちらは、重要伝統的建造物保存地区には指定されていませんが、いい雰囲気の建物がたくさん並んでいます。
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国道1号の鈴鹿峠を越える区間は、片側2車線の上下別ルートになっています。
今では、鉄道も自動車も関ヶ原がメインルートになっていますが、昔はこちらが日本の大動脈です。
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滋賀三重県境、近江伊勢国境の鈴鹿峠を越える鈴鹿トンネル。
今回走った東行き道路です。
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峠を越えて、三重県側、伊勢側の宿場町、関宿。
こちらは重要伝統的建造物保存地区に指定されていて、街並みや建物がすごく高密度に残っています。
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体育の日の祝日で、国旗がたくさん掲げられていました。
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街中にあった「展望台」からの眺めです。
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途中、細い路地を通って北側にある瑞光寺を訪ねました。
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中世末期にこのお寺を中興した和尚さんが三河の生まれで徳川家康と親交があり、その縁で家康は伊賀越えの時や、その後の上洛の際などにこのお寺に立ち寄ったようです。
境内には、家康が賞味したという「権現柿」が実をつけていました。
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東西約1.8キロの間に江戸から明治にかけて建てられた古い町屋が200軒あまり残っているそうです。
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銀行の支店ももちろんこんな意匠です。
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時代劇に出てくるような旅装束の人が、腰をかがめて先を急ぐ様子が目に浮かぶような坂道です。
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地区の東の端にある東追分。
ここは、当時の東海道から伊勢街道が分かれる分岐点。
伊勢街道の入り口となる大鳥居は二十年に一度の伊勢神宮式年遷宮の際に、内宮宇治橋南詰の鳥居が移されてくるそうです。
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今来た道を引き返し地蔵院前の「会津屋」さんで昼食をいただきました。
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西追分の駐車場に戻りバイクで出発。
再度街道筋をそろそろと徐行して前田屋製菓さんでお土産に名物「志ら玉」などを購入しました。
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関宿を出発し亀山の市街地を抜け、鈴国橋で鈴鹿川を渡って鈴鹿市へ。
前日に第30回F1日本グランプリの決勝が行われた鈴鹿サーキットの雰囲気を感じようと、ちょっとだけ立ち寄りました。
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F1の関連イベントが行われていた鈴鹿サーキットを後に来た道を引き返し、関宿から国道25号の旧道に入りました。
いきなり通行止めの看板。しかし右隅に小さく二輪は通行可能と書いてあります。
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この先幅員減少の法面崩壊の現場。
看板通り二輪は十分に通り抜けできました。
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関西本線の踏切。
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平成24年、大阪近郊区間大回り乗車をしたときに乗車した区間です。
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板屋から東名阪に乗り、中瀬で下りて伊賀上野の街中を横切り伊賀近江国境の御斉峠を目指しました。
伊賀上野の街並みを過ぎてから少し迷いましたが、大きな温泉施設の看板を頼りに何とかたどり着きました。
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峠近くの展望所から見る伊賀上野の街並み。
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峠を下って多羅尾の村中を通り国道307号に出ました。
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国道307号で宇治田原町まで走りましたが、このあたりから少し渋滞し始めたので、天ケ瀬ダムから宇治方面に抜けて宇治西ランプで京滋バイパスに乗り、名神、新名神経由で帰宅しました。
帰宅は午後6時ころ。
鈴鹿サーキットでお土産に買ったタイヤプディングケーキ。
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バーストしていなくて一安心。
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福井県 年縞博物館

2018/10/07 00:46
先月の15日にオープンした、福井県の三方五湖湖畔にある、年縞博物館に行ってきました。
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朝、7時に家を出発。
この日は、新名神、名神で京都東まで行き、琵琶湖湖西道路から国道477号経由で国道367号、通称鯖街道を北上しました。
出発直後、路側の電光表示に「通行止情報」と出ていたので、茨木千提寺パーキングエリアで情報収集。
こじんまりとしたパーキングエリアですが、新しくてこぎれいで、二輪駐輪用の屋根付きスペースもちゃんとあります。
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国道367号は、安曇川に沿って自然の中を快走する関西の定番ツーリングルート。
お天気が良ければ、まさに快走だったのですが、この日は、途中から、雨が降り出してきました。
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バイクを路側に寄せてカッパ上下を装着し雨の中を突っ走り、最初の目的地の熊川宿に到着。
熊川宿は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている町並みが残っており、是非とも散策しようと思っていたのですが、あいにくの雨。おまけに折りたたみの傘を持ってくるのを忘れていたので、今回はあえなく断念しました。
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「道の駅熊川宿」で小休止して、再度カッパを装着して出発。国道303号、27号を経由して、三方五湖湖畔の「福井県年縞博物館」に到着しました。
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三方五湖の五つの湖のうちのひとつ「水月湖」は、周辺の地形や湖の深さ、更に周辺での地質活動などの条件が「奇跡的」にそろっていたことから、7万年に渡って湖底に整然と堆積物が堆積しており、この博物館ではその堆積物の「縞模様」が明確に確認出来るボーリングコアを薄くスライスしたものを長さ45メートルに渡って展示しています。
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「スライス」したボーリングコアの「年縞」はこんな感じです。
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7万年分約45メートルの年縞のうち、端からわずか1メートル足らずのところに、秀吉の時代の天正地震の際に湖底に流れ込んだ堆積物の層が出来ていました。
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30078±48年前に堆積した、日本列島最大級の火山噴火と考えられる、姶良カルデラの噴火に伴う火山灰の層。
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もちろん、この水月湖の年縞は、展示物としてすごいから博物館ができたわけではありません。
木の年輪のように一年に明暗一対の縞が7万年に渡って堆積している年縞を解析することで、当時の水月湖周辺の自然環境(気温、水温、植生)や自然活動(地震、津波、洪水、火山活動など)に関する非常に精度のよいデータを得ることが出来ます。
また、世界中で化石や遺物の年代を特定する方法として広く使われている放射性炭素C14を用いた年代測定には、時代ごとの大気中のC14濃度の変化を補正するという作業が必要ですが、水月湖の年縞に含まれている葉の化石の残存C14の割合を調べることで、この補正の精度を大きく向上させることにもつながっているそうです。
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館内には、ほかにも興味深い展示がたくさんありました。
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ちょうど12時ころ博物館を出て、すぐそばにある「道の駅三方五湖」に立ち寄り、物販コーナーで鯖寿司を買って、施設のベンチで食べました。
お天気は、相変わらず雨。
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日本海を進む台風25号の影響で、風も結構強くなってきたので、この日はこれで、帰路に着きました。
国道27号を経由して162号を南下。
途中の名田庄地区で橋の上から見た、流れのきれいな落差工。
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このあたりで、ようやく雨がやみました。
道の駅名田庄に隣接している「暦会館」。
名田庄はかつて、安倍清明の子孫である土御門氏が、戦国時代の都の混乱を避けて移り住んでいた場所だそうで、朝廷の陰陽寮の役人であった土御門氏にちなんで、地元おおい町の教育委員会が設置した施設だそうです。
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ここからは、カッパを脱いで走りました。
国道162号のこのあたりも、適度なコーナーが続く快走路です。
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台風由来のすごい強風の中、稲刈りの終わった田園地帯を快走して、18時ころに帰宅しました。
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奈良の社寺参り

2018/09/24 17:24
毎年、この時期に訪ねている、奈良の神社、お寺に今年もお参りしてきました。
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朝8時に家内と乗用車で出発して、阪神高速、近畿道、南阪奈道路、国道24号大和高田バイパスなどを経由し、10時過ぎに桜井市の大神神社に到着しました。
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国道沿いの大鳥居近くの駐車場に車を止めて参道を歩いていくと、JR桜井線の踏切があります。
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踏切の少し南側に三輪駅があり、踏切のすぐそばには多客時の臨時出口があります。
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踏切を渡って少し歩くと、二の鳥居です。
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落ち着いた雰囲気の参道を進みます。
私がとても気に入っている参拝の道です。
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三輪山を御神体とするこの神社には本殿がありません。
背後のお山を拝する拝殿。
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この日は、秋の講社崇敬会大祭の日で、全国から講員、会員の方がとてもたくさん、お参りに来られていました。
全く部外者の私と家内も、お神楽を鑑賞させていただいたり、出店の食事をいただいたり、少しだけご相伴にあずからせていただきました。
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具材たっぷりのいも煮。
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帰り道、参道のお店で、ミカンや柿、野菜を買いました。
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車に乗り、JRと近鉄の桜井駅のそばを通り、聖林寺にお参りしました。
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聖林寺は、桜井市内の著名な社寺や明日香村の遺跡などと比較すると、とても地味な存在ですが、おまつりされている十一面観音像は私の一番と言ってもいい好きな仏様で、ここのところほぼ毎年、この時期にお参りさせていただいています。

門前からは、桜井の街並みや三輪山、そして卑弥呼の墓とも言われている箸墓古墳などを望むことが出来ます。
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箸墓古墳遠望。
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参道の途中には、赤い彼岸花に混じって、白い彼岸花が咲いていました。
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聖林寺のお参りを終えて来た道を引き返し、大神神社の大鳥居前を過ぎて北上し、奈良市街を目指しました。
先ほど遠望した、箸墓古墳です。
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春日大社にお参り。
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外国からの旅行者と思しき方が、とても多かったです。
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こちらは、創建1250年のさまざまな奉祝行事が行われていました。
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奈良市内で遅い昼食を摂ってから、第二阪奈、阪神高速経由で帰宅しました。

大神神社の参道で買った、今季はじめての柿とみかん。
おいしかったです。
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ツーリング

2018/09/17 17:17
9月16日。お天気は少し頼りない感じでしたが、朝からバイクでツーリングに出かけました。
この日の目的地は、若狭湾の街、小浜。
出来るだけ一般道をトロトロ走ることにして、自動車専用道路は京都縦貫道路の亀岡、丹波間のみ利用しました。
南丹パーキングエリアで小休止。
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まだ秋とは言えないような気候ですが、交通量の少ない丹波路を快調に走りました。
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京都府の管理する、大野ダムのダムサイトで小休止。
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約3時間で、小浜に到着。
まずは、遠敷川沿いの若狭一ノ宮、若狭姫神社と若狭彦神社にお参りしました。
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若狭彦神社の手水は、山からの湧水がそのまま割竹の樋で導かれていました。
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一ノ宮にお参りした後、更に上流にある神宮寺にお参りし、そのあと鵜の瀬を訪ねました。
緑に囲まれて、どっしりと構える神宮寺の本堂。
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鵜の瀬では毎年3月2日、神宮寺の神事として「お水送り」が行われます。
当日は、この鳥居の先の河原で神宮寺の住職さんが遠敷川に「御香水」を流し、それが10日間かけて奈良東大寺二月堂の「若狭井」に届くと言われているそうです。
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小浜の市街地の方に引き返して、駅前から市街地中心部に向かいました。
事前に情報は全く調べていなかったのですが、この日は、若狭路最大の秋祭りと言われる小浜八幡神社の「放生祭」の日でした。
市内はどこもお祭りムード。
若干の交通規制のおかげで、ヨソモノの私は目的地に向かうのにちょっとオタオタした場面もありましたが、とてもいい日に訪ねることが出来ました。
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小浜漁港では、若狭の定番鯖寿司をこれも定番のお店で購入。
ただし、このお店の鯖寿司はここでしか手に入らない珍品というわけではなく、羽田空港をはじめ国内あちこちで購入可能で、特に空港では「空弁」人気ナンバーワンだとか。
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いつものように、重要伝統的建造物群保存地区を訪ねました。
小浜西組地区です。
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洋館もありました。
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この地区内にある八幡神社の参道には、秋祭りに合わせてたくさんの出店が出ていました。
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私が小さいころは「スマートボール」略して「スマボール」と呼んでいたなつかしいボールのゲーム。
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八幡神社にほど近い場所にある、街並み保存資料館を訪ねました。
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地域柄、京都のいわゆる町屋に似た造りになっていて、通りに面した間口の狭い、うなぎの寝床です。
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それでも、しっかりと井戸や中庭があります。
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担当の方がとても丁寧に説明してくださいました。
ありがとうございました。
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最期に、地区の西端に近い飛鳥区付近を訪ねました。
このあたりはかつて、旅館や料亭が多かった地域のようです。
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このあたりの町屋の軒下には「身代わり猿」と呼ばれる赤い布で作られた猿がつるされています。
これは、庚申信仰にかかわりのある、厄除けなどのお守りのようです。
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飛鳥区では、内部を公開している「蓬嶋楼」という明治期の元料亭を訪ね、ここでも案内の方に非常に丁寧に説明していただきました。

最期まで雰囲気のある通りを歩いて、海沿いの駐車場に戻りました。
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ここまでで、時刻は午後3時前。
おみやげの鯖寿司を夕食に間に合わせるべく、この日はこれで帰路に着きました。
最期に、小浜公園の駐車場で記念撮影。
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小浜湾を望む展望所を訪ねたあと、帰路に着きました。
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往路でも立ち寄った、道の駅名田庄に、帰りも立ち寄りました。
朝、激安野菜がたくさん並んでいたので、こんな時間でもひょっとしてと思いましたが、当然のごとくお買い得品はほぼ完売状態。朝買っておけばよかったのですが、さすがに野菜満載のリュックを背負ってツーリングの一日を過ごすのはちょっと抵抗がありました。
この写真は、朝立ち寄った時のものです。
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ほぼ、往路と同じ道を戻りました。
この写真は、往路で見かけなかったかやぶき屋根の家を見て、交差点の曲がり間違いに気づき、Uターンする時、撮ったものです。
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午後6時過ぎに帰ってきました。
全行程280キロ。結果的に、ほとんど雨にも降られず、快適な一日でした。

夕食に間に合いました。
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ツーリング

2018/09/03 21:23
9月2日の日曜日、前日からの雨もやみ、気温もほどほどだったので、朝からバイクでツーリングに出かけました。

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特に目的地は決めずに、出発。一般道路を西に走り、三田、三木あたりを経由して、昼前に、姫路に到着しました。
姫路の街には、今から三十年くらい前に三年ちょっと住んでいましたが、駅やその周辺は山陽本線、播但線の立体化をはじめ、当時から大きく変わりました。
まだ、いろいろと工事が続く大手前通りの車道の端にバイクを停めて、写真を一枚。

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昔住んでいた、姫路市飾磨区の思案橋付近を訪ねてみました。 
当時は姫路駅から姫路港まで国鉄播但線の支線、通称「飾磨港線」が通っていました。ちょうど私が住んでいた時期に廃止になり、記念に購入した切符がストックブックに残っていました。
購入した時の事は正直、全く忘れてしまっていますが、「飾磨駅発行」の硬券切符。
当時の飾磨駅に、切符販売の駅員さんとかおられたんだったでしょうか?
ネット情報によれば、飾磨港線は昭和61年10月末日で廃止されたようなので、切符に印字の10月22日は、その一週間くらい前ということになります。

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当時、住んでいた場所のすぐそばにあった「思案橋公園」です。
遊具やベンチなどは良く覚えていませんが、公園とその周辺の雰囲気は、あの頃と全然変わっていないように感じました。
奥の方に写っている朱色の高欄の橋が「思案橋」です。

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思案橋が架かっている船場川を挟んだ対岸側から、お祭りのような声が聞こえてきたので、行ってみました。
地区の集会所の前の広場で、新調された屋台の完成式典のお披露目が行われていたようです。

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中地(ちゅうじ)ランプから姫路バイパスに乗り、播但連絡道路を経由して姫路市の北、福崎町を訪ねました。
福崎町は姫路在住時、私の勤務する職場のあった町です。
当時、時々利用した播但線の福崎駅に行ってみました。

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今、駅周辺は駅前広場など整備事業の真最中です。

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福崎町内で勤務していた昭和62年は、4月に国鉄が分割民営化された年でした。
飾磨港線廃止の切符と同じストックブックに、国鉄最後の日とJR最初の日に福崎駅で購入した入場券がありました。
こちらも、硬券ですが、飾磨港線のさよなら乗車券とちがって、券面に「JNR」「こくてつ」の文字は入っていません。

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福崎町は、日本の民俗学の父と呼ばれる柳田國男が誕生し幼年期を過ごした町です。
 福崎町のホームページでは、「遠野物語」や「妖怪談義」「日本の昔話」などの著作で知られる柳田を、「全国各地に残された民話や伝承を体系化し、妖怪や物の怪にまつわる言い伝えまでを「文学」に昇華させた」と紹介しています。
 その福崎町では平成29年3月、福崎駅前に設置された「一緒に将棋を指せる河童」ほか1基のベンチを皮切りに、「妖怪ベンチ事業」がスタート。今年3月には、福崎駅から柳田の生家が移築・保存されている鈴ノ森神社にかけての町中に、新たに7基のベンチが設置され、現在は9基のベンチを訪ねて回るコースも設定されています。

 http://www.fukusakikankou.jp/document/benchimap.pdf

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同じような観光の方々がたくさん見に来られていました。

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福崎駅を後にして、ほんの少し走ると、今度は「スマホで自撮りする鬼」がいました。

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帰りも、加西、加東、三田と一般道路を利用して、夕方帰宅。
全行程約200キロ。快適な日帰り旅行でした。

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平成29年冬 年末ひとり旅行(5)松本&木曽平沢

2018/01/05 23:54
平成29年冬 年末ひとり旅行(1)からお読みください。

十二月二十二日、四日目

旅行最終日。朝七時半頃にホテルをチェックアウトして松本駅に向かい、大きな荷物をコインロッカーに預けて市内散策に出発。

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平日の通勤通学の時間帯です。

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これまで知らなかったのですが、松本市内には至る所に飲料可能な水が湧いています。

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一杯いただきました。

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気温、水温や湿度の関係なのでしょうか、うっすらと湯気のようなものが上がっていました。

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松本城の大手門近くの大きな駐車場。

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その近くにも湧水が湧き出ています。

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ここにも湧水。

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これだけ大きな都市の市街地のあちこちに、飲料可能な水が湧き出ているというのは、とても豊かなことだと感じました。

松本城に入場。

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お堀に写る逆さ松本城。

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松本城にはこれまで何度か訪れましたが、このアングルで見たのは初めてかもしれません。
こちらから見ても、なかなかどっしりとしています。

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一旦、お城を離れて旧開智学校を訪ねました。

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お城の方に戻り、二の丸御殿跡の方を通って駅を目指します。

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女鳥羽川に架かる千歳橋のイルミネーション。

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市立の時計博物館。

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裏道散策。

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歩道部分に人工の水路を作っている区間がありました。

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朝の繁華街を抜けて駅に戻りました。

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十時二十五分の中津川行きで、木曽平沢まで行きます。

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中津川行きの電車。

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この電車には塩尻まで車掌さんが乗車していましたが、そこから先はワンマン運転になりました。
十一時十分、定刻に木曽平沢到着。

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この雪の感じは今回の旅行で初めてです。

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中山道の宿場奈良井の枝郷であったここ平沢では、江戸時代初めから奈良井で行われていた漆器生産の場所がしだいに広がってきて、江戸時代後期には「平沢塗物」の名で大いに発展します。
明治以降も、様々な技術革新によって成長を続け、現在では木曽漆器として我が国有数の漆器の産地になっているそうです。

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駅に隣接して小さな駅前広場のような公園が整備されていました。
うるしの里駅前水辺公園という名前の看板が出ていました。

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平沢はお隣の奈良井と同様、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
こじんまりとした集落ですが、通りに面して右にも左にも古い建物の漆器のお店がたくさん並んでいます。

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旧中山道の通りを抜けて国道沿いの道の駅に併設されている木曽くらしの工芸館を目指しました。

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塩尻市の楢川支所。旧楢川村役場ですね。

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支所前にも漆器店が並んでいます。

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更に歩いて「道の駅木曽ならかわ」に到着しました。

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道の駅に併設されている木曽暮らしの工芸館。

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漆器などの展示・販売のほか、漆器づくりの体験なども出来る施設です。

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平沢の集落に戻り橋を渡って奈良井川の対岸にある木曽漆器館を訪ねました。

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木曽平沢の駅に戻り普通電車で中津川まで行き、そこで乗換えて名古屋まで行きました。

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午後六時過ぎ名古屋到着。
名古屋駅ではホームの立ち食いで夕食にきしめんを食べました。

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今回も名古屋大阪間は近鉄特急。
昨年は休日だったので結構空席がありましたが、平日の夕刻に名古屋を出発するこの日のアーバンライナーデラックスシートはほぼ満席でした。

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途中、津と大和八木に停車し、揺られること二時間余りで難波に戻ってきました。

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近鉄名古屋駅の改札はICOCAで入場していたので、難波では下車したホームでそのまま少し待って到着した快速急行神戸三宮行で尼崎へ。
ドーム前駅では、コンサート帰りの人がドドドと乗ってきました。

九時半過ぎに無事阪神尼崎駅到着。

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三泊四日分の切符類です。

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平成29年冬 年末ひとり旅行(3)宇都宮&大谷資料館

2018/01/02 22:07
平成29年冬 年末ひとり旅行(1)からお読みください

十二月二十一日、三日目 その1。
早朝、投宿している宇都宮駅前のホテルを五時半頃に抜け出して、朝の市内散歩に出かけました。

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明け始めた東の空に輝いているのは、木星でしょうか。

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吊天井事件で有名な宇都宮城址の公園。

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宇都宮市役所。

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昭和二十年七月の空襲を生き延び、戦後の市民を勇気づけた大いちょうの木。

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宇都宮のランドマークと観光案内に書かれていた、カトリック松が峰教会。

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東武電鉄宇都宮駅とバスターミナル。

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古い意匠の物がさり気なく残っています。

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Bリーグ初代チャンピオンに輝いたリンク栃木ブレックスの応援看板。

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宇都宮市街のど真ん中にあり、「宇都宮」の名の由来になったと伝えられる下野国一宮、二荒山神社にお参りしました。

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二時間くらい歩いて、JRの駅前に戻ってきました。

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ホテルに戻り、荷物を整えて出発。
駅前に停まっていた市内循環バスきぶな号。
きぶなは、宇都宮の郷土玩具のようです。

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駅西口の駐輪場で、電動レンタサイクルを借りました。

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目的地は、宇都宮市郊外の大谷資料館。
この地方で採掘される大谷石の地下採掘場跡を公開しているところです。
旅行に出発する数日前までは、駅からバスで三十分かけて行くつもりだったのですが、レンタサイクルがあることを知って、方針変更。天気が悪ければ仕方ないと思っていましたが、絶好のサイクル日和で、土地勘がなく道案内は極めて不安でしたが、通勤通学の車両、バス、歩行者に混じって勇躍出発しました。

高校野球でよく耳にした作新学院の正門。

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少し郊外に出ると、雪をかぶった山稜が見えてきました。

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東北自動車道の高架をくぐると、もうあと少しです。

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このあたりまで来ると、道路端に普通に建っているこういう建築物にも大谷石が使われています。

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タクシー会社の事務所も、大谷石造り。

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一時間くらい走って、大谷記念館に到着しました。
資料館のすぐ横には、宇都宮市内に五十ケ所程ある「自転車の駅」が設置されています。レンタサイクル利用による来訪を想定しているということだと理解しました。

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大谷石はこの宇都宮市大谷地区一帯で採掘される石材で、柔らかくて加工しやすく、また独特の風合いを持つことから、古来多くの建築物に利用されてきました。
古くは八世紀に造営されたと推定される下野国分寺の土台石として利用されており、有名なところでは、大正期に建築された東京の旧帝国ホテルの建材として利用されています。この日早朝に訪ねた宇都宮市内の松が峰教会は、現存する国内最大の大谷石による建築物だそうです。

旧帝国ホテルの建物。愛知県の明治村に移築保存されています。平成24年に明治村を訪ねた際の写真です。

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この建物は、大正十二年九月一日、完成披露宴のまさにその日、式典の準備のさ中に関東大震災の直撃を受けましたが、わずかな損傷を受けたのみでほとんど無傷だったそうです。

九時三十分の開館まで十分程待って、入場。
階段状になった通路を下っていきます。

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アドベンチャー映画のセットのようです。

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この採掘場では、大正八年(1919年)から昭和六十一年(1986年)まで、大谷石の採掘が行われていたそうです。
広さは約二万平方メートル、深さ約三十メートルで、野球場がひとつ入るくらいの大きさ。
地下空間の容積は約三十万立方メートルで、約一千万本の石材が産出されたそうです。
一番下層の部分は、さながら地下宮殿といった雰囲気です。

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クリスマス前後のこの期間、一番奥まったところにある、普段非公開の教会ゾーンが特別に公開されていました。

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このような場所であるので、これまで様々な映画撮影やテレビ番組のロケ、プロモーションビデオが撮影されてきたとのこと。現在も、これらに加えて演奏会や展示会などいろいろ行われているようです。

映画撮影の際に用いたアンカーが残っていました。

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壁面を使った、デジタルアートも公開されていました。

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小休止。

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大谷石の石材としての強度試験をした時の実験場だそうです。

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階段を上って、地上世界へ。

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見学していたのは、正味一時間くらいでした。
普段非公開ゾーンも見ることが出来、大満足でした。

宇都宮駅から、東北新幹線と北陸新幹線を利用して、一気に長野県の上田まで移動しました。

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北陸新幹線には、初めての乗車です。

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二時間足らずで上田に到着しました。

平成29年冬 年末ひとり旅行(4)に続く
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平成29年冬 年末ひとり旅行(4)上田&姥捨

2018/01/02 22:06
平成29年冬 年末ひとり旅行(1)からお読みください。

十二月二十一日、三日目 その2
上田は、戦国時代の後期から江戸の初期にかけて真田氏が領有していましたが、元和八年(1622年)以降は仙石氏、その後松平氏が領有し、幕末明治を迎えることになります。
真田氏が領有した時代は実は比較的短期間だったのですが、平成の今、街は真田氏一色といった感じです。
駅の横っ腹にも、六文銭があしらわれています。

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まずは、上田城を目指しました。
街中にも真田十勇士。

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例によって、わざわざわかりにくい細街路にもぐり込んでいきました。
こういう通路にもぐり込んで行くのが、知らない街を歩き回る時の醍醐味です。

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マンホールにも六文銭。

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幟旗には「二〇一六年大河ドラマ「真田丸」は信州上田が舞台」と書かれています。

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二の丸橋と、昔走っていた電車のプラットホーム跡。

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上田城の再建された東虎口櫓門。

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本丸跡にある真田神社にお参りしたあと、本丸跡周辺をうろうろしました。

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お城を退去した後、上田の街中を散策しながら、駅に戻りました。

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上田駅から上田電鉄別所線に乗車。

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終点の別所温泉まで往復しました。

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信濃国最古の温泉である別所温泉は信州の鎌倉と呼ばれているそうです。

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上田駅に戻り、構内の「そば処ちくま」さんで駅そばをいただきました。
特上山菜かき揚げ玉子そば。
体がかなり冷えていたので、とてもおいしくいただきました。
麺もおいしかったです。

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ここから、旧信越本線のしなの鉄道で篠ノ井まで行き、JR篠ノ井線に乗り換えて姥捨駅に行きました。

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姥捨駅。

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駅舎の左側にある四角い建物が「TRAIN SUITE 四季島」の旅行客向けバーラウンジですね。

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姥捨駅付近は、これも言わずと知れた日本三大車窓のひとつです。
現在では、かつて三大の一角を占めた北海道の新得落合間がルート変更でその座を失い二大車窓になってしまいました。
三年前の肥薩線に続き、現存する二大車窓をこれで経験出来ました。
ここの車窓風景は善光寺平とそこを流れる千曲川、広がる棚田の風景などが三大と呼ばれる所以だそうですが、今回はそういう昼間の雄大な風景と並んで賞される夜景の美しさを堪能しました。

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冬の晴天のこの日、姥捨駅から夜景を見るにはかなり条件のいい日であったと思います。
篠ノ井方面からスイッチバックして、尾灯を照らしながら入線してきた普通電車で松本駅まで行きました。

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松本駅に到着。

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さすがは夜の長野県。ここまでの行程の中でこの時が一番冷えました。

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この日最後の鉄道乗車は、松本電鉄上高地線。

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学生時代から、松本駅は何度も利用していて、そのたびに「新島々」という駅名を耳にはしていましたが、電車で訪ねるのは今回が初めてです。
約三十分の乗車で新島々駅到着。

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奥の方にはこんなのも停まっていました。

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山に行く人のバスターミナルですね。

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三十分くらい駅周辺をうろうろした後、次の松本行電車で引き返しました。

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松本駅に戻りこの日の宿のホテルを目指しました。

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松本の夜の街は、思っていたよりもずっと活気があります。

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繁華な通りを選んで通って、この日の宿のホテルに投宿しました。

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平成29年冬 年末ひとり旅行(5)に続く
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平成29年冬 年末ひとり旅行(2) 佐原

2018/01/01 21:43
平成29年冬 年末ひとり旅行(1) からお読みください

十二月二十日、二日目。
この日の最初の目的地は、千葉県香取市佐原。
平成の大合併で旧佐原市と三つの町が合併して誕生した香取市は、現在私の住んでいる川西市と姉妹都市提携を結んでいます。
バス停留所ホテル最寄りのJR水道橋駅から総武線で秋葉原まで行き、京浜東北線に乗り換えて日暮里まで行きました。

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当初の予定では、総武線で錦糸町駅まで行き、ここで乗換えてJRの快速で成田まで行くつもりだったのですが、バス車内で見たスマホの情報で、横須賀線のダイヤの乱れが千葉以東まで影響しているとのことだったので、再度スマホで路線検索して、日暮里駅乗換えで京成を利用して成田まで行くことにしました。
日暮里駅では、京浜東北線の駅到着から一分くらいで京成本線の空港特急があり、乗換口の場所も知らない私は半分以上あきらめながらダメモトで走ったのですが、たまたま走った方向が正しかったようで、少しだけ特急が遅着してくれたこともあって、何とか間に合いました。
次のスカイライナーだと、一度空港まで行ってから成田駅まで引き返すことになり、時間も運賃も効率が悪かったので、走った甲斐がありました。
京成本線を走って、定刻に京成成田駅到着。

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JR成田駅は、京成の成田駅と向かい合っていて、急げば三分くらいで乗り換え出来そうです。
JRの駅舎に隣接するお店で、家族からリクエストを受けていた「千葉名物ぴーなっつ最中」をお土産に買いました。

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JR成田線の銚子行き電車に揺られること三十分ほどで、佐原駅に到着。

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駅前の観光案内所で、電動のレンタサイクルを借りました。
この写真は、伊能忠敬記念館前で撮ったものです。

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まず下総国一宮、香取神宮にお参りすべく、佐原の町並みを横切って、東に向かいました。

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自転車は、参道入り口の大駐車場に止めて、お店の並ぶ参道を歩き、お参りさせていただきました。

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香取神宮にお参りを済ませた後、香取市と川西市が姉妹都市提携を結ぶきっかけとなった多田地区を訪ねました。
ここはかつて、摂津国多田(現在の川西市)を拠点とした源満仲が、平将門の起こした天慶の乱を平定するために出兵した際に陣を構えたところだと伝えられており、その地が摂津多田によく似ていたことから、このあたりを多田と名付けたと伝えられているそうです。
訪ねてみると、平面がほぼ正方形で、平屋建、寄棟方形屋根の民家がたくさんあったことが印象的でした。
地形や風土に関しては、川西の多田と似ているかどうかと言われると、何とも言えませんね・・・。

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多田の集落を電動自転車で少し周遊した後、香取神宮のそばを通って、佐原の町並みに戻ってきました。

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佐原ではまず、伊能忠敬記念館に向かいました。
伊能忠敬は言わずと知れた、江戸末期に非常に精度の高い日本地図を作った人ですが、その偉業は家督を譲り隠居した後、五十歳で暦学の師に弟子入りして学業を修め、五十五歳で最初の測量に出発し七十三歳で亡くなるまでの十次に渡る測量をもとにして成されたものです。
それ以前の彼は、当時小江戸と呼ばれたこの佐原の町の大きな商家に婿入りし、衰退の兆しのあった伊能家の家業を復活させ、隆盛に導いた有能な経営者でした。
平均的な寿命が、今よりずっと短い当時、五十歳で本格的な勉強を始め、五十五歳から日本全国の歩測の旅を始めた忠敬の人生は、まさに感服の一言です。

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館内は、撮影禁止でした。
伊能忠敬記念館についてはこちらの公式サイトを御参照下さい。

記念館をたっぷり見学した後、記念館の真正面にある小野川観光船乗り場で、出発間近の観光船を発見。
実は、記念館に入る前に見たときは、まったく運行している風でなかったので、オフシーズンだからこの日は運休だろうと、半ばあきらめていたのですが、幸運にも乗船することが出来ました。

船頭さん

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綱取りのおばさん。

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記念館の正面にある樋橋のたもとから佐原の町並みの中を流れる利根川支川小野川を約三十分の行程で、利根川合流点の少し手前まで往復していただきました。

下船後の様子。
見ての通り、こたつ装備船でした。

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この後、今しがた船で川の方から眺めた小野川沿いの佐原の町並みを、今度は川沿いの道を歩いて辿りました。
佐原の町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
昨年の川越、数年前の栃木に続き、かつて小江戸と呼ばれた重伝建保存地区をこれで三つとも訪ねることができました。


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小野川を離れて、少し香取神宮の方に戻ったところにある、有名な三菱館。

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ほかにも、いい雰囲気の建物が随所に残り、現役で頑張っていました。

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最後に、大正八年に建てられたという伊能忠敬の銅像を訪ねた後、佐原駅に戻りました。

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佐原駅から、成田線を戻り、成田駅へ。
成田駅の手前で、空港に向かう成田スカイアクセス線と、JRの合流点付近。

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成田駅から、成田線の支線で、我孫子駅へ。

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我孫子駅で常磐線に乗り換え。取手駅から、関東鉄道常総線に乗って、鬼怒川沿いを、北端の下館駅まで行きました。
途中の水海道駅にて。

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下館駅から、今度は真岡鉄道線に乗車。

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真岡駅にて。

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真岡駅のSLキューロク館。

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この時間はもう閉館していて、外から覗き込んだだけでした。

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真岡駅前のバス停から宇都宮方面行きの路線バスに乗り、この日の宿泊地の宇都宮に到着しました。

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平成29年冬 年末ひとり旅行(3)
に続く
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平成29年冬 年末ひとり旅行(1) 瀬野八&高速バス

2017/12/27 22:22
今年も、十二月十九日から三泊四日で、年末一人旅行に行ってきました。
今年は出発日を決めた後にその日の仕事が入ってしまい、午後の出発になりました。
スタートはいつものように、阪神尼崎駅。

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そしていつものように、青胴車。

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昨年、第五十九回のブルーリボン賞を受賞した、ジェット・シルバー5700です。
青胴車の系譜ではありますが、もはや黒面の銀胴車。
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短い区間ですが、高加速、急減速を繰り返し、こんなのに抜かれたりしながら梅田に到着。

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ここのところ、めっきり利用することの少なくなったJR大阪駅から在来線で新大阪駅まで行き、そこから福山駅まで「さくら」を利用しました。

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三十年以上前の古いアルバムに、同じようなアングルで在来線の駅ホームから撮った写真がある福山城。

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福山駅コンコースにて。

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福山駅から、カイゼルひげのRedWing電車などを乗り継いで山陽本線を瀬野駅まで行きました。

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瀬野駅までの一番のお目当ては山陽本線屈指の急勾配区間、八本松瀬野間、通称「瀬野八」を体感すること。
本当は瀬野方面から乗車して上り勾配を体験したかったのですが、午後の出発になり全体行程の都合上、残念ながら八本松からの下りでの体験となりました。
それでも、一直線に下っていく縦断勾配はかなりのもの。
これを、蒸気機関車で上るとなると、確かにかなり苦しかっただろうと感じました。

瀬野駅で下車して、異色の新交通「スカイレール」に乗車。
瀬野駅に隣接するみどり口駅。
奥に続いているのが、スカイレールの軌道です。

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スカイレールは、瀬野駅から隣接するニュータウン、通称「みどり坂」の上の方、奥の方まで住民を運ぶ公共交通ですが、ひとことで言えば、ロープウエーです。

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この日、往路に私の乗ったゴンドラは下校の中学生で満員でしたが、少し遅れて乗り込んだおっちゃんのために、さりげなく座席をひとつ、開けてくれていました。
ゴンドラは、二駅で終点のみどり中央駅に到着。
デジカメがムリムリ画像を作ってくれていますが、実際はもう夜の雰囲気でした。

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往路と打って変わって復路の乗客は私ひとり。始発駅から終着駅まで、乗客が私一人の鉄道に乗ったのは、ひょっとするとこれが初めてかもしれません。
瀬野駅から山陽本線で、広島駅まで行きました。

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広島駅のコンコースでは、構内アナウンスの前の音楽に、なつかしの”Do They Know It's Christmas?”の一節が使われていて、頻繁に流れていました。
私は今でも目覚ましアラームの音楽にこれを使っているので、週に一度くらいはこのメロディを聞いていますが、JRオリジナルの暖かな音色を聴くと、心が和みます。

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この日の宿は、東京行きの高速バス。
知る人ぞ知る、ドリームスリーパー号。
昨年のサンライズに引き続き、どうせ乗るなら最長距離と思い、広島東京便を選びました。

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バスの時刻まで小一時間あったので、駅構内のお店で小休止。

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ほぼ定刻に広島駅新幹線口バス乗り場に到着。

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この、ドリームスリーパー号は、一台の旅客定員が十一人で、全席がほぼ個室状態。
中央の通路を挟んで、イマドキの寝台列車の個室車両のように、壁とドアが並んでいます。

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しかもこの日、この便の旅客は、始発から終着まで私ひとり!
広島から東京まで、二人の乗務員さんの運転する大型バスが、ほとんどの区間高速道路を使って、私一人を運んでくれました。

さすがに、バスの全幅の中で、通路幅を取ったうえに二室を配置しているので「部屋」とは言えませんが、ほぼ、プライペートな空間は確保されています。

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三泊四日分の荷物に防寒着などを詰め込んだボックスリュックも、足元のスペースに余裕で収まりました。もちろん、もう少し大きな荷物であれば、ボディ側面の荷物室に入れてもらえます。

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作り付けのテーブルを使用する時の状態。

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窓側手元のコントロールボタンで、リクライニング、フットレストの上下、座面の上下を自由に調整できるようになっています。

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広島駅を出発すると、バスは広島インターから山陽道に入り、福山西インターで一旦、一般道に降りて、福山駅南側のバス乗り場に到着。
乗車停留所はここが最後で、発車すると、再度山陽道に乗って、一路、東京を目指しました。
途中、何度か、運転手さんの交代で、サービスエリアなどに停車しますが、乗客が下車できるのは、十一時半ころに到着する龍野西サービスエリアだけのようでした。

しばらく、睡眠を取ったあと、ひと通り車内設備を見て回りました。

トイレは、通常の高速バスと同様、車両半ばあたりの、階段を降りたところにありました。

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車両一番後ろのつきあたりには、パウダールームがあります。

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豊田からは、新東名高速道路を走っていたようです。
私が目を覚ましていて、停車を確認出来たのは、遠州森町パーキングエリアと海老名サービスエリア。
私の席(A3席)のちょうど下あたりが仮眠室になっていて、バスの側面から出入りする運転手さんを真下に見ることが出来ました。

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川崎インターのあたりから朝の渋滞でのろのろ運転になり、首都高速道路の料金所までは動いたり停まったりを繰り返しました。

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外環道接続地点。

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砧公園を過ぎて、首都高速道路の料金所を通過してからは、それなりに走り始めました。

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北の丸をかすめて、西神田ランプで一般道へ。

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水道橋の下車停留所に到着。遅れは三十分程度でした。

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お二人の乗務員さんに見送られて下車。
お世話になりました。

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平成29年冬 年末ひとり旅行(2)に続く

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平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その6)

2017/01/09 16:20
「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その1)」からお読みください。

セントラムで、市内環状線を一周したあと、富山駅周辺をしばらく、うろうろ。
富山地方鉄道の富山駅。

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まさかここで、この車両にお目にかかるとは思ってもいませんでした。

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四日間の旅行で、「49歳で電車の運転士になった男の物語」と、「愛を伝えられない大人たちへ」両方の舞台を訪ねることが出来ました。

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富山駅のホームに戻り、2番乗り場へ。

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名古屋までお世話になる、ワイドビューひだ号です。

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北陸新幹線の工事の記事で良く目にした、神通川橋梁の主塔が遠くに見えていました。

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午後1時2分、定刻に発車したワイドビューひだは、富山平野を横切って、神通川をさかのぼるように南下。三連休の初日とは言え、年末のこういう路線は空いているだろうと思っていたら、あにはからんや、車内はほとんど満員で、特に、外人さんと思しき観光客ご一行が散見されました。

猪谷で停車した後、中央分水界を越えて飛騨川流域に入り、今話題の飛騨古川に停車したあと、高山で車両を増結。そして、次の下呂駅で多くの人が下車して、車内はがらっと空きました。

飛水峡の景勝区間を過ぎて、北から濃尾平野に入ったワイドビューひだは、ここまでの低速蛇行のうっぷんを晴らすかのように、猛然と高速走行を開始。かなりまっすぐに近い平面線形の区間を、同じような勾配でひたすら下るという感じで走行し、美濃太田駅に到着しました。

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その後、また同じように、特急らしい走りをして、岐阜駅に到着。
ここで進行方向が逆になり、二日前の深夜に通過した東海道本線の区間を背中向きに通って、定刻の5時02分。ちょうど、4時間の乗車で名古屋に到着しました。

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JRはここまでで、近鉄の名古屋駅に移動。
大阪までのアーバンライナーを待っていると、しまかぜが到着してきました。

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最後の特急、アーバンライナー。大阪難波行き。

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約二時間で、終点の大阪難波に到着。
同じホームで、阪神なんば線の尼崎行きに乗り換えて、今回の旅行で最後の鉄道利用。
そして午後9時前、四日前の早朝に出発した阪神尼崎駅に無事、戻ってきました。

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富山駅でおみやげに買った、源のますのすしとぶりのすしは、翌日、クリスマスイブの食卓に彩りを添えました。

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ご笑覧いただきありがとうございました。

よろしければ、過去の記事もどうぞ。

 平成27年12月 北関東ひとり旅行
   稲荷山鉄剣 渡良瀬橋 上毛電鉄
  上信電鉄 富岡製糸場 前橋 岩舟
  鹿嶋臨海鉄道 交通博物館 … 

 平成26年12月 南九州ひとり旅行 
  出水 大畑 鹿児島 人吉
  霊台橋 通潤橋 立野 chinese lady … 

 平成24年10月 大阪近郊区間 大回り乗車
  6:06塚口→23:19加島
   739.4km 180円
  福知山 加古川 山陽 東海道 湖西
  北陸 東海道 草津 関西 片町
  おおさか東 関西 桜井 和歌山
  阪和 大阪環状 東西   
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平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その5)

2017/01/09 15:07
「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その1)」からお読みください。

12月23日。天皇誕生日。四日目、最終日です。

5時48分の直江津方面一番電車に乗るべく、十日町駅へ。

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直江津まで、ちょうど1000円で切符を購入。

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未明の十日町駅構内。
12月下旬のこの時期、年によっては、このアングルで真っ白な風景のこともあるのでしょうが、今回、十日町では全く、雪を見ることができませんでした。

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発車までしばらく時間があったので、北越急行側の構内を少し見て回りました。

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階段や通路には、華やかな垂れ幕がかかっていました。
この六角形の文様は「十日町雪花文様」というそうです。

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犀潟行きの一番電車。

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残念ながら、この時間では、ゆめぞらの上映はありませんでしたが…。

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…昨年の上毛電鉄同様、クリスマス装飾の電車でした。

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ほとんど直線、かなりの区間がトンネルの路線を猛スピードで駆け抜けて、40分余りで、まだ暗い犀潟駅に到着しました。

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未明の犀潟駅には小雨が降っており、また、前日糸魚川の街に大火をもたらした強い南風がいまだ収まらずに吹いていました。

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妙高高原行きの一番電車で直江津まで行き、1分の連絡で日本海ひすいラインの糸魚川行き電車に乗換えました。

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短編成の電車は、高校生の体育クラブの休日遠征試合に向かうと思しき皆さんで座席はほぼ満員状態。
車内で、直江津から富山までの切符を購入しました。

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糸魚川に到着。
糸魚川はかつて大学時代、毎年、所属していた大学の天文部の夏合宿が南小谷の民宿で行われて、ペルセウス座流星群の「二点観測」のために、夜間遠征に来ていたところです。
ある年、夜中から高等学校のグラウンドで、流星観測、流星撮影をさせていただいていたところ、おそらく体育系のクラブの高校生が、学校に泊まり込んで同じく夏休みの合宿をしていたようで、朝方になって、早起きの高校生に不審者と間違われかけたこともありました。(というより、モロ不審者ですが…。)

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その糸魚川の街が、このたびの火災では大変大きな被害を受けてしまいました。
糸魚川からの電車の発車直後、徹夜で消火活動を行っておられたであろう、消防士の方々の姿を、駅前にちらと見ることが出来ました。
消火活動に従事された皆様、本当にお疲れ様です。
また、被災された皆様には、心からお見舞い申し上げます。

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ここからは三両編成のイベント車両「とやま絵巻」です。
内装にもなかなか力が入っています。

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市振駅までが、日本海ひすいライン、そこから先はあいの風とやま鉄道。
親不知駅の海側では、新しい道路の建設でしょうか、橋梁の工事が行われていました。

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この「とやま絵巻」の車両は、外側の車体面に、富山の風物を図案化して描いているのですが、窓の部分も図案が途切れないように、ガラス面に網掛け、着色がなされていました。
おかげで、走行中、座席の窓ガラス越しには外の風景の写真を撮ることができず、ちょっと残念でした。

富山に到着。

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富山駅の在来線は現在、上り線のみ連続立体交差化されて、ホームが上に上がっています。

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富山駅中央コンコース

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立体化されている新幹線と上り線ホームの下部に、富山地鉄の市内電車が乗り入れています。

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今後、在来線の下り線路も立体交差化されると、駅の南北を接続する空間が確保され、ここで北側の富山ライトレールと南側の地鉄市内電車がつながる計画です。
これは、かなり画期的な計画であると感じます。

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現在、駅の南北の通行はこの地下通路がメインルートになっているようですが、それも、駅の立体交差化が全部完成すれば、市内電車の停車場に沿って南北自由通路が出来て、とてもスムーズになるようです。

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駅北側、富山ライトレール(ポートラム)の富山駅北電停付近から見た富山駅。
手前側が、まだ地上を走っている上り線ホームです。

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富山ライトレールの富山駅北電停。

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ポートラムの車内。

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とりあえず、運転席も。

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路面電車用の信号。
全国的に見れば、大きな街中のあるところにはあるのでしょうが、とは言え、慣れないと自動車を運転していてとまどうかも。

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20分ちょっとで、終点の岩瀬浜に到着。
電車からフィーダーバスへは、平面で乗り継ぐことが出来ます。

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線路に沿った歩道を通って、岩瀬浜の街中に向かいました。

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岩瀬カナル会館。
レストランや土産物店がありました。
4月から11月まで、富岩運河を航行する観光船の乗降場にもなります。

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普通のお宅でも、雪吊りの準備をされていました。

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まず、海沿いにある富山港展望台へ。

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予想通り、20mの高さの展望台まで螺旋階段を歩いて上りました。

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大変、残念ながらこの日は時折雨がぱらつくあいにくのお天気で、立山連邦の雄大な山容は全く見ることが出来ませんでした。

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伏木富山港の富山地区。
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旧北国街道に面した岩瀬大町新川町通りを散策しました。
北前航路が最盛期の明治初期に建てられたかつての廻船問屋が建ち並ぶ街並みです。

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立派な門構えのお屋敷の入り口で一枚、記念写真。

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銀行の手前のお屋敷が、森家。
国指定の重要文化財です。

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邸内を少しだけ、足早に見学させていただきました。

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真新しい杉玉を掲げる酒屋さん。

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大町新川町通りを南に抜けて、富山ライトレールの東岩瀬駅。
旧富山港線時代の駅舎が残る唯一の駅です。
ライトレールの駅そのものではありませんが、休憩所として利用されていました。

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ライトレールの現在の南行きホームから北を望んでいます。
左が旧駅舎と旧ホーム。
線路沿い、奥の方の左に見えているのが、岩瀬浜方面行のホームです。

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マスコットキャラが、ホームを案内。

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富山駅に戻り、地鉄市内電車の富山駅電停を撮影。
停まっているのは、大学前行きと南富山駅前行きです。

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そしてこちらが、セントラム。
平成21年に開通した、市内環状線の車両です。
将来的には、奥に見えている光っている部分を突き抜けて、富山ライトレールと線路がつながるということですね。

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「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その6)」に続く
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平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その4)

2017/01/07 19:46
「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その1)」からお読みください。

初日の広島県観光、二日目の島根県観光に続き、三日目は東京からスタート。
品川から東京まで、通勤電車で移動し、東京から中央線で新宿へ。

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東口に出るべきを、西口に出てしまい、大ガードをくぐって西武新宿駅へ。

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西武新宿駅。

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特急小江戸号。

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この日最初の目的地、川越まで、NRA ニューレッドアローで一時間ちょい。
ずっと都市部なので仕方ないのでしょうが、なかなか高速で走行する場面はなく、レッドアローというよりはレッドトータス…。

定刻より少し遅れて、本川越駅に到着。

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西武鉄道の車両の知識はほぼゼロですが、本川越駅に、2017年春デビューする40000系の試運転車両が停まっていました。

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コインロッカーの場所をお尋ねしたら「ぺぺにある」と言われ、まずぺぺを探して、ロッカーを探し、大荷物はそこに預けて、散策開始。

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駅前から、重伝建保存地区に至る道路は、大規模に拡幅工事中でした。

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保存地区の手前から、すでになかなか雰囲気のいい商店街が続いています。

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仲町交差点。ここから北が川越の重伝建保存地区です。
温泉津に続き、今回の旅行で二箇所目の、重要伝統建造物群保存地区。
温泉津が「港町 温泉町」として登録されているのに対し、川越は「商家町」として登録されています。
いきなり、ドカンと言う感じで、どっしりと建っています。

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観光のオフシーズンとはいえ、首都圏にある一級の観光地であるこの地区では人も車も多くて、なかなか写真もうまく撮れません。

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埼玉りそな銀行川越支店。
最近、あちらこちらの観光地で見かける人力車がここにも。

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時の鐘は、残念ながら、耐震化の工事中でした。

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古風な建物の街並みがまだまだ続きます。

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重伝建保存地区北端、札の辻交差点を曲がって、市役所前へ。
ユニークな耐震補強を施した川越市役所。

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川越城の空堀跡。

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川越城本丸御殿。
今回のこの川越城で、私の日本百名城訪問が、ちょうど半分の五十城になりました。

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室町時代の河越城は、扇谷上杉氏の重臣であった太田道真、太田道灌の父子が、足利氏への防御線として、江戸城とともに築城したといわれています。
その後、関東は北条の支配するところとなり、更に北条なきあとは徳川の治めるところとなり、江戸時代に入って小江戸と呼ばれることになるこの地は、代々徳川の親藩・譜代の大名が治め、現在に残る川越城の遺構は、1600年代の半ばに、松平信綱によって拡張整備されたものだそうです。
中世から近代への歴史の中で、支配者はたびたび変わりましたが、現在の川越の方にとってより親しみを感じるのは、徳川の歴代譜代大名よりも、やはり太田道灌なのでしょうか。市役所前に立っているのは、太田道灌でした。

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菓子屋横町をうろうろするころから、雨がショボつき始めました。

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少し駆け足でペペに戻り、荷物を取り出して、東武東上線の川越市駅へ。
西武本川越駅と東武川越市駅は、ごく普通の道路でつながっており、平日のこの時間帯でも、そこそこ人通りがありました。

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ICOCAで入場してホームに上がったら、ちょうど森林公園行きが発車するところでした。

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森林公園駅。
東京で地下鉄を利用していると、森林公園の駅名は良く聞くのですが、利用するのはこれが初めてでした。
急行に乗り継いで、小川町へ。

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小川町で、八高線に乗り換え。
ICOCAで東武線の精算とJR線への入場が出来ました。

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昨日までの中国地方とはちょいと趣きの違うワンマンディーゼルカーで、ガタガタと高崎まで行きました。

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上越国境は、新幹線にするか在来線にするか少し迷いましたが、十日町に少しでも早く着きたかったので新幹線に決定。

高崎駅では荷物を担いでダッシュし、八高線から4分の連絡で上越新幹線のとき323号に乗り継ぎ成功。
小川町では、ICOCAでJR駅に入場していましたが、新幹線の車内で車掌さんに入場記録を消してもらい、改めて、小川町から六日町までの乗車券を購入しました。

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定刻の15時00分。越後湯沢に到着。
この4日間の旅行で唯一の新幹線利用となりました。

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六日町まで、上越線のワンマン電車。

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六日町で、いよいよ北越急行に乗り換えです。

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六日町駅を発車したほくほく線のワンマン電車は、少し走ってすぐに一気の加速。
ここまでに乗車した三江線、山陰本線、八高線の気動車とはちょっと次元が違う爆走ぶり。
山のことにはとんと疎いのですが、右手に見えていたのは、八海山でしょうか。
飲み屋で時々、耳にする名前です。

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14分。表定速度60キロ超で、この日の最終目的地、十日町駅に到着。
ここまで乗ってきた電車は、この駅で六日町行と入れ替えです。

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織りと染め 着物の里 とおかまち。

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北越急行の駅構内にまします、新潟県のご当地アイドル”Negicco”

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陸橋を渡って、こちらはJRの十日町駅。
何か、新幹線が並行する在来線の駅のような風景。

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越乃Shu*Kuraの駅名標。
越乃Shu*Kuraが、JR東日本のイベント列車であることは、帰宅してから知りました。
今シーズンの運行は11月までで終わったとのこと。
要するに日本酒飲酒列車です!

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JRの駅舎。

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駅前通りには、子供の頃社会の教科書で見た雁木が、今風の装いで本当にありました。
この日も翌朝も、時折、弱い雨がパラついていましたが、雁木のおかげで、傘は不要でした。

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宿に入り、荷物を置いて、夕方の街中を少し散策。
あっさりとしたライトアップが心地よい雰囲気です。

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街角の保育園にも、雪掻きグッズがしっかり装備されていました。

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雁木と共存する、めずらしい横向き歩行者信号。

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早朝に、サンライズの車中でパンを食べた後、お昼も食べずに動き回ったこの日の夕食は、越後十日町小嶋屋の本店で、この地方の名物へぎそばと、南魚沼産コシヒカリのミニ天丼をいただきました。

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宿に帰って入浴し、翌朝、またも5時台の電車に乗る予定であったので、早々に布団に入りました。

「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その5)」に続く
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平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その3)

2017/01/03 21:07
「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その1)」からお読みください。

出雲市も、鉄道で訪ねるのは学生時代以来です。

当時お世話になった、私にとってのスターたち。

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このたびの旅行から帰ってきて当時の旅行日記を読み返してみると、初めて訪ねた出雲市駅について「駅舎は(当時住んでいた)甲府駅が少し勝っているが、駅前(の賑わい)は完璧に負けた」「駅のすぐ近くの銭湯に入った」「駅前のお食事処で落ち着いて食事をした」といったことが書いてありました。

今は、鉄道の連続立体交差が完成して、とても立派な駅舎。
駅北も駅南も、当時とは風景が一新しているのでしょう。

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隣接する、一畑電車の駅も、線路は上に上がっていました。

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高架下も、梅田の阪急三番街のようになっていました。

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事前の情報で、一畑電車が86年ぶりにオリジナルの新型車両を導入したと聞いていたので、見れるものなら、と思っていましたが、駅員さんにお聞きすると、導入直後のこの時期、夕方にはもう車庫に入ってしまっているとのこと。
業務用のダイアグラムを取り出して丁寧に説明してくださった駅員さんへの謝意も込めて、入場券を一枚購入。

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今夜の宿は、長らくの念願だった電車寝台特急サンライズ出雲。
どうせ乗るのなら最長距離でと思い、途中に通過する大阪から、二日かけて始発駅のここまで来たという具合です。

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発車5分前、2番ホームに、サンライズ出雲東京行きが入線。

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三十数年前、鈍行山陰のボックス席が山陰路の定宿だった自分が、今日はシャワーカード付きの個室A寝台にレベルアップ!

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夕食は、出雲市駅で調達したトラディショナルな駅弁。

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しばらくは、車内を頭から尻尾までうろうろと探検しました。

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実のところ、出雲市で乗車した時点では、暖房が効き過ぎていて個室の室内はかなり暑い状態でした。これは、あまり快適な一夜にはならないかもしれないなと、ちょっと心配になりましたが…。
しかし、暖房スイッチや空調の吹き出し口の調節の仕方を徐々に解明していった結果、夕食を摂って、シャワーを浴びたころには暑からず、寒からずの大変快適な室内になりました。

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今回のサンライズ出雲の全行程の中で一番快適だったのは、伯備線を走行中、室内の電気をすべて消し窓のブラインドを全開にしてベットに寝転び、線路の振動を感じながら、星を眺めている時でした。
さすがに、分厚いガラス越しでかなり明るい星でなければ見ることは出来ませんでしたが、それでもオリオン座の三ツ星などは、ちゃんと確認出来ました。
時々、電灯の灯る小さな駅で運転停車をして対向車両とすれ違ったりしながら、コットンコットンと走る寝台車。
睡眠環境は激変していましたが、思い出すのは遠い昔の車中泊、ボックス席でふと目を覚まして深夜の車窓を眺めた時のことでした。

岡山駅では、サンライズ瀬戸と連結を行いましたが、残念ながら上りのサンライズ出雲は、岡山に後から到着するため、ドアは連結後にしか開かず、併合作業をホームで見ることは出来ませんでした。

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23時半ごろ、定刻に姫路駅到着。
向かい側の下りホームのえきそばは、まだ営業していました。

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深夜零時、明石海峡大橋付近を通過。
この日は、明石海峡大橋のライトアップが「ルミナリエパターン」となるイベントパターンの期間中で、平日より一時間遅い深夜零時までライトアップが点灯されていたため、ちょうどその消灯に遭遇することが出来ました。
上りサンライズの、あまり語られないビューポイントのひとつです。

ルミナリエパターンのライトアップ

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消灯する瞬間

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零時を過ぎて三ノ宮に到着。
平日のこの時間でも、この人の数。
ひょっとして、職場の知人がいるかもしれないと、何となく見回しましたが、さすがに発見出来ませんでした。
(しかし、この駅のホームのどこかに、知っている人がいる確率は50%以上だと思われる)
酔ってサンライズに乗り込もうとする人に、連れのおっちゃんが「特急やで!乗ったらあかんで!」と言っている声が聞こえたような気がしました。
間違ってこれに乗ってしまい、何かのはずみで大阪でも降りずに通過してしまったら、次の停車駅は静岡です。

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零時半過ぎ、定刻に大阪駅到着。
三ノ宮とは一転して、ここは閑散としていました。

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大阪駅を発車後、夜の車窓を堪能するのはしばらく終わりにして、一旦、少し眠ることにしました。

そして、目が覚めたら2時10分。スマートフォンで確認すると、伊吹山のあたりを走行中。
しばらく、車窓を流れるあかりなどをぼんやり眺めていると、2時45分、下りのサンライズとすれ違いました。
事前にネットで仕入れていた情報では、もう少し早い時刻にすれ違うはずで、おそらくこちらが遅れているのだろうと、ぼんやり思いました。

その後、しばらくうとうとと眠ったり目が覚めたりを繰り返していましたが、だんだん目がさえてきて、活動再開。
早朝の運動よろしく、連結されたサンライズ瀬戸の先頭まで、歩いてきました。

連結部分では、高い位置で向き合っている無人の運転台に手を突っ込んで、写真を撮りました。

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静岡に停車した後、5時40分に富士到着。定刻は5時10分なので、この時点でちょうど30分遅れていました。
少しでも長くこの列車に乗っていたい自分にとっては、遅れはむしろうれしいのですが…。

遅れのため、朝の通勤時間帯の京浜間に割り込んで行けなくなったサンライズは、小田原に臨時停車して横浜で下車予定の乗客を降ろした後、横浜は通過して、品川止まりになるとのアナウンス。
横浜で下車予定の人や車掌さんには申し訳ないのですが、レアケースに遭遇して、自分としてはひそかに大満足。

根府川橋梁通過。

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小田原駅に臨時停車後、発車。次は終点、品川。

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東戸塚から貨物線に入り、いくつかトンネルを通って、横浜羽沢貨物駅を通過。

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京浜急行生麦駅付近で東海道本線と合流し、その後概ね横須賀線に並行して走行。
新川崎駅に隣接する新鶴見機関区。
普段、目にすることのない、機関車やロゴマークを目撃しました。

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武蔵小杉駅では、通勤のみなさんの目の前をしずしずと通過。

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西品川の再開発地区。

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湘南新宿ラインをオーバーパス。
このアングルは、新幹線で上京する時も目にする、見慣れた風景。
画面、上部が新幹線の桁ですね。

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品川を発車した新幹線とすれ違い。

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そして8時過ぎ、終点の品川駅に到着しました。

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手を伸ばして運転台を撮影した、連結部分。

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東京まで特急で行けば、少々荷物が大きくても中央線は始発だから何とかなると思っていましたが、品川で降ろされ、品川東京間は、朝の通勤電車で移動。
しかし、思ったほど混んでもおらず、無事東京駅に到着しました。

結局、サンライズには予定より一時間ほど余計に乗せてもらいました。

「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その4)」に続く
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平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その2)

2017/01/01 22:36
「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その1)」からお読みください。

二日目、12月21日。冬至の日。
5時44分三次発の、三江線の始発列車に乗るべく、5時過ぎにホテルをチェックアウトして駅に向かいました。

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早朝の三次駅では、係員さんが、気動車の始業点検(というのかな?)をされていました。

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江津までお世話になる、浜田行きのワンマンカー。

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車内は、ボックス席、ロングシート併設、トイレ付きの標準的な仕様です。

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発車してしばらくは、まだ真っ暗な江の川沿いの(たぶん)山中を、ブンブンいわせながら走行。
乗客は、自分と同じような乗り鉄さんとおぼしきご同輩が三・四人のみといったふうで、これがもし、三江線廃止が伝えられていなかったら、ひょっとして三次からかなりの区間、乗客ゼロではないかという感じでした。

ようやく外が白み始めて、小雨と霧で曇った窓から、江の川の清流を一枚、撮りました。

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「天空の駅」宇津井駅。停車時間がほんのわずかなため、残念ながら下車して地上まで行ったりすることは出来ず、「天空」から下を見下ろすのみになってしまいました。

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三次発車から1時間38分経った7時22分。宇津井の次の石見都賀駅で、初めて地元の方と思しき人が乗車。
更に進んで、徐々に、沿線に人家も増えてきました。

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とは言うものの、江の川に沿って、山際を縫うように走る鉄路は、なかなか速度が出せないようで、制限速度30キロの標識が至る所にありました。

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三次を出発して3時間48分。定刻の9時32分、江津到着。

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江津市は石州瓦生産の中心地です。

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三江線と同じ型式の気動車で、山陰本線を東に向かいます。
乗り継ぎ時間は3分間。

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江津を出た山陰本線出雲市行きの気動車は、三江線とは打って変わって、ブンブンうなりながら、突っ走ります。
沿線には、石州瓦の民家の集落が続きます。

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20分ほどで、次の目的地、温泉津駅に到着しました。

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ここの駅は、駅舎がJAしまねの支店事務所になっています。
駅にコインロッカーがなく、街並みを散策するのに、でかい荷物をどうしようかと一瞬青くなりましたが、何と、JAの支店が、一時預かりをしてくださいました。
感謝!!

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身軽になって、散策開始。
駅から、温泉津温泉の街並みまでは1キロくらいありますが、ひなびた海沿いの町をてくてくと歩きました。

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温泉津温泉は、今から三十数年前の昭和57年に一度訪ねたことがあり、学生だった当時の私の旅行日記には「お湯につかった」「温泉の方の愛想がとてもよかった」という内容のことが書かれています。
具体的な記憶は正直、もうほとんどなかったのですが、とても心地の良い場所であったという記憶があり、いずれ再訪したいという想いをずっと持ち続けていました。
また、温泉津の温泉街は、平成16年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、その点でも、ぜひ、訪ねたい場所でした。
また、ここは、言うまでもなく、「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、平成19年に日本で14例目の世界遺産の登録を受けた 場所でもあります。

海沿いの道を歩いて、温泉街へ。
山の地形に合わせて形成された温泉街の街並みに入っていく入り口のところに、大田市観光協会の施設「ゆうゆう館」があります。

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戦国時代から、当地の庄屋を務めて来た内藤氏の庄屋屋敷。

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何気ない街角にも、歴史を感じさせる雰囲気が漂っています。

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この日は、温泉街の道路で、下水道の工事が行われていました。
風景写真を撮る分にはちょっと残念ですが、これはこれでもちろん、なくてはならない工事。
丁寧に対応していただいた交通整理員さんに感謝の気持ちを伝えました。

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大田市の生活バスが停まっていました。

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谷筋の地形に沿って、道路と建物が続く温泉街。

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そして、この日のお目当て、薬師湯に到着しました。

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薬師湯は、温泉津の温泉街にあるふたつの外湯のうちの一つで、日本温泉協会の審査で、山陰地方唯一、全国でも数少ない「最高評価」を受けた、完全自然湧出のかけ流し温泉です。

記憶はまったくないのですが、おそらく三十数年前に入らせていただいたのも、この薬師湯さんだったのだと思います。

そして冬至のこの日、薬師湯では、毎年恒例のゆず湯をされていました。

ちょうど、私が薬師湯に到着し、番台の方にお支払いをした頃、新聞記者さんが、ゆず湯の様子を取材に来られていて、写真撮影をされているところでした。
私は、撮影の邪魔にならないように、そろそろと浴場に入って、様子をうかがわさせていただいていたのですが・・・。

どうも、こういう話題の写真の入浴者は、太っているほうがいいと判断されたようで、私が入浴している様子を、たくさん撮影されました。

その後、おふたりの記者さんから取材も受け、その結果が以下の通りです。

山陰中央新報
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毎日新聞
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いろいろとお気遣いいただいた薬師湯のスタッフの方と記念撮影。
写真撮影のプロフェッショナルである新聞社の方に写していただいた、ぜいたくな写真です。

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薬師湯にて

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少し早いお昼を、薬師湯の隣、大正8年に建造された薬師湯の旧館「震湯カフェ内蔵丞」でいただきました。

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季節の野菜を薬師湯の源泉で蒸した「野菜蒸し」と温泉卵の入った、内蔵丞カレーです。

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このほか、薬師湯では、2階のラウンジや3階の屋上も解放されており、おいしいコーヒーをいただきながら湯上りのゆったりとした気分で、温泉街の家並みを楽しませていただくことができました。

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薬師湯から失礼をしたあと、温泉街をさらに歩いて、重要伝統的建造物群保存地区の街並みを堪能しました。

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そのあと、温泉津港のもう少し北まで足を延ばし、戦国時代に石見銀山で産出した銀の積出港だった沖泊の、鼻ぐり石(船を係留した岩)を見てきました。

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温泉津駅に戻って、JAで預かっていただいていた荷物を受け取り、駅ホームへ。
大田市行きの普通列車を待っていると、二両編成のスーパーまつかぜが到着して(運転停車)、出発して行きました。
昭和35年から十年間、宝塚で生まれ育ち、毎朝、福知山線の踏切を渡って小学校に通っていた、かつての鉄道少年の私にとって、特急まつかぜは、スーパーヒーロー。
それが、今や二両編成となったこのまつかぜは、ちょっとさみしかったですね。

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普通列車大田市行。

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車窓から見えた、仁摩のサンドミュージアム。
この日は水曜日で休館日だったので、見学はあきらめました。

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大田市に到着。

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普通列車の出雲市行きに乗車。

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午後4時前に、出雲市駅に着きました。

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「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その3)」に続く 
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平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その1)

2017/01/01 01:23
平成28年12月20日から、恒例の年末ひとり旅行に出かけました。
今回は、三泊四日で、広島、島根、埼玉、新潟、富山と、本州の真ん中あたりを西へ東へと走り回ってきました。
例によって、出発は阪神尼崎駅。
ちょうど一年前の前回よりかなりゆっくり家を出発して、6時38分の梅田行き普通に乗りました。
もう、直通特急も走っている時間でしたが、平日に、通勤の皆さんに交じって、のんびりと乗車するのは少し気が引けたので、普通車を利用。
今回も、往年の青胴車でした。

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阪神梅田駅。
尼崎ではよく空いていた青胴車も、終点の梅田では通勤の方が結構たくさん乗っていました。

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今回、最初の長距離移動は、広島県の三次市まで阪急の高速バスを利用。
これまで、仕事で淡路島に行くとき以外は高速バスを利用することがほとんどなかったのですが、いざ使ってみると、お値段も手ごろで、目的地によっては鉄道よりもはるかに短時間で移動できることを実感しました。
関西から三次市なんていうのは、もう、高速バスの独壇場ではないでしょうか。

ということで、阪急梅田の高速バスターミナルです。

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バスターミナルの周辺は、梅田の阪急村。
平日の午前7時過ぎだと、さすがにまだ人通りもあまりありません。

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新見経由三次行は定刻に入ってきて、定刻に発車しました。

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車内は、標準的な四列席でトイレ付き。
予想通り、この時期、この時間、始発の梅田から三次までよく空いていました。

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車内は空いていましたが、年末の通勤時間帯の道路はかなり混雑気味。
最後の乗車バス停である西宮北インター通過時点で、30分くらい、遅れが発生していました。

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安富のパーキングエリアで、小休止。

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小雨が降ったりやんだりするお天気の中、定刻を少し遅れて、三次駅前に到着。
三次駅前広場のこのモニュメントは、今もこの地域で行われている鵜飼をイメージしているそうです。

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三次駅は、広い駅前広場の端っこに、こじんまりとしたきれいな駅舎が建っています。

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駅前広場の西に建つ観光交通センター。
一階が観光協会とバス案内所、二階は食堂と貸会議室になっています。
観光協会で荷物を預かってもらい、レンタサイクルの電動自転車を借りました。

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小雨が降ったりやんだりしていましたが、何とかなるだろうと割り切って市内探訪に出発。
下は、市内にある辻村寿三郎人形館前で撮った写真です。

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お昼を過ぎていたので、まず腹ごしらえ。
今、ホットな三次名物は、平成26年10月の「第5回ひろしまてっぱんグランプリ」で優勝した「三次唐麺焼」。
事前にネットで調べていたマップなどを参考に、駅からほど近い「すぎおか」さんにおじゃましました。

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唐麺焼は、三次市に本社のある毛利醸造社のお好み焼き用「カープソース辛口」と、三次市で古くから創業されている江草製麺の「唐麺」を組み合わせた、三次産の素材がメインの広島風お好み焼。
オリジナルの唐麺焼にいくつか具材を追加して焼いていただき、お店の鉄板の上でいただきました。
ごちそうさまでした。

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腹ごしらえを済ませた後、小雨が降ったりやんだりする中、電動自転車で旧十日市町の街並みを過ぎ、巴橋を渡って、旧三好町へ。

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まず、みよし本通りを北上し、瑶泉院や大石内蔵助ゆかりの鳳源寺にお参りしました。
それから、また自転車でみよし本通りを戻ってきましたが、このころ、雨がやや強く降ってきたので、雨宿りも兼ねて、商店街に面した、辻村寿三郎人形館を見学させていただきました。

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人形館の館内をぐるりと見学して、外に出ると雨は上がっていました。
自転車を人形館の前に置かせていただいて、みよし本通りを歩いて散策しました。
人形館の斜め向かいの「甘味処平太郎」で、大判焼をふたついただきました。

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お店の奥さんが、開店や商品開発までの経緯、地域活性化にかける想いを熱く語って下さいました。

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みよし本通りは、石畳風のタイル舗装に古い町並みが残る、とてもいい雰囲気の場所でした。

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みよし本通りにほぼ平行して流れる、江の川支川西城川の護岸として、江戸末期には築かれていた石積み護岸の「旭堤」の遺構。
現在は、堤内側で、道路の路側擁壁として機能しており、一部がこのように公開されています。

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再び、巴橋を渡って、三次駅のある旧十日市町側へ移動。
巴橋から下流の風景。翌日に乗車予定の三江線の鉄橋が馬洗川の下流に架かっています。

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芸備線(三江線)の踏切を渡って、駅の南側に移動。

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駅南の住宅街を抜けて東に進み、駅の南東端に行きました。
平成28年に東武鉄道に譲渡されると聞いていた転車台が、ひょっとしてまだ、残ってはいまいかと見に行きましたが・・・。
結果は、ご覧の通りで、どうやらすでに撤去された様子でした。

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駅の南北をつなぐ歩行者用跨線橋から西側の風景。
正面遠方に見えている10階建ての建物が、今日のお宿のホテルです。

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東側の風景。
転車台は、正面奥の鉄道敷地内の小屋の右手、三本の線路が集まるようになっているところの先にあったようです。

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翌日が冬至で、一年で一番、日が短くなる季節。
お天気は持ち直し、晴れ間も見え始めた三次の街に、早くも日の入りが近づいてきました。
翌日は早起きして、5時44分の三江線一番列車に乗車予定のため、この日は早々に、ホテル入りしました。

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「平成28年冬 温泉・鉄道・重伝建めぐり旅行(その2)」に続く
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北関東ひとり旅行(その3)

2016/01/02 19:04
<下のほうの「北関東ひとり旅行(その1)」からご覧ください>

12月21日、三日目です。
水戸6時42分発の鹿島臨海鉄道に乗りました。
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水戸駅を出発してしばらくJR線と一緒に北上し、やがて高架になって、東に進行方向を変えます。
普段は体験出来ない、ディーゼルカーのエンジン音がとても心地よく感じられました。
車内の写真です。
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列車は、東水戸駅で対向車両と入替をして、ブンブン走って、大洗駅に到着。
この日は平日だったので、大勢の水戸方面への通勤通学客が上り列車を待っていました。
ここでも対向車両と入替です。
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高架区間のとても多い路線です。
長名駅。
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8時過ぎに鹿島神宮駅に到着しました。
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剣聖塚原卜伝生誕之地。
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朝の清々しい空気の中、鹿島神宮にお参りさせていただきました。
お参りして、鹿島神宮駅まで戻ってきたところ、ちょうど当駅前始発の東京駅行きの高速バスがバス停に入ってきたので、思わず乗ってしまいました。
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鉄道では行けない、臨海工業地帯を走ってくれたので、鹿島のもうひとつの顔も見聞することができました。
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高速バスは、潮来インターから東関東自動車道、首都高速湾岸線等を経由して東京駅の日本橋口に到着。
湾岸の景色などを楽しめました。
東京駅で、関西では見られない列車を一枚、撮影。
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鉄道博物館を訪ねるべく、大宮までJRで行き、そこから一区間だけ埼玉新都市交通に乗りました。
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鉄道博物館駅改札口の凝った天井です。
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鉄道博物館エントランス。
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写真は張付けるとキリがないので少しだけ。
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このあと、23区内の鉄道をゴソゴソ乗り回し、最後は代々木公園で一休みしました。
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東京駅に戻り、改めてこの銘板の前でしばし、思いをはせました。
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18時33分発のひかり527号。
帰路も、EX早得で、グリーン車を利用しました。
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最後に、三日間で購入したり、無効印を押していただいて回収した切符類をまとめてアップします。
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北関東ひとり旅行(その2)

2016/01/01 11:01
<下のほうの「北関東ひとり旅行(その1)」からご覧ください>

12月20日、二日目です。
高崎6時31分発の上信電鉄に乗りました。
あっさりした顔の電車です。
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珍名駅。
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早朝の下仁田駅に到着。
駅員さんにお願いして、撮っていただきました。
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下仁田駅で、記念に硬券の入場券を購入。
30分足らずの滞在でしたが、山間の町の朝の雰囲気を感じて、下仁田駅を後にしました。
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これまた30分弱で上州富岡に到着。
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例によって、街歩き、路地裏歩きを楽しみました。
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そして、少し道に迷い気味になってうろうろしていたら、忽然とお目当ての施設(の裏側の道)に出ました。
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8時50分くらいに、到着。
事前の情報では、入場に整理券が必要だとか何とか聞いていたので、入れなければそれでもいいか、くらいに思っていたのですが、開場10分前の正門前には行列もなく、当日券購入の行列の先頭になりました。
ただ、この後、館内の案内の方や、街の中のお店の複数の方から「世界遺産のブームになって以来、今日は一番人出が少ないと感じる」というお話を聞きました。
たまたま、人出の少ないラッキーな日に当たったようです。
交通整理の方にお願いして一枚、撮っていただきました。
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9時に開門となり、切符を購入して入場。
私はガイドさんのガイドはご遠慮して、一目散にまず繰糸所に行きました。
結果、見学者がだれもいない繰糸所で15分程度、ひとりで写真を撮ったり、見学することが出来ました。
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そのあと、首長館、寄宿舎、社宅群などを順次、見学しました。
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東置繭場内の展示室では、江戸時代の座繰を体験させていただきました。
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東置繭場
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製糸場から駅に戻る途中のお店で、入場券購入時にいただいた、400円分のお土産購入券を使って、釜飯おやきを二つ買って、食べました。
残念ながら、写真はありません。

上州富岡駅に戻り、蒟蒻畑ララクラッシュ電車に乗車。
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上信電鉄で高崎駅に戻り、6分の乗り継ぎ時間で両毛線方面行の電車に乗換えて、前橋まで行きました。

前橋駅の近くで、市の外郭団体が運営するレンタサイクルをお借りしました。
一日200円。
前橋の市内散策は3時間程度を予定していましたが、この自転車のおかげで、実に段取り良くあちこち訪ねて回ることが出来ました。
下の写真は、自転車を返却する前に、市内を流れる広瀬川の河畔で撮ったものです。
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駅を出発してまず、市内中心部にある桃井小学校を訪ねました。
この小学校は、終戦時宰相鈴木貫太郎の出身校で、校門前に鈴木が座右の銘としていたと伝えられている「正直に 腹を立てずに 撓まず励め」の石碑が建っています。
日曜日で、石碑を見ることが出来るかどうか不安でしたが、何か行事があったようで、校門は車が頻繁に出入りしており、私も少しの時間、石碑前に入らせていただきました。
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続いて、自転車をとばして群馬県庁へ。
県庁旧庁舎内で開催中の、大河ドラマ館に行きました。
県令ドノの机で記念撮影させていただきました。
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続いては、隣の群馬県庁新庁舎最上階の展望台。
前橋の街並みと、その後方に広がる山並みはなかなかの絶景です。
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県庁を後にして、臨江閣を訪ねました。
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大河ドラマの中でも登場していた、当時の迎賓館です。
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臨江閣の近くに、前橋名物の焼きまんじゅうの老舗があることを知り、自転車を飛ばして訪問しました。
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ご許可をいただいて、焼いておられるところを、撮影させていただきました。
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店内の様子です。
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広瀬川の河畔遊歩道です。
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交水堰と呼ばれる落差工。
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萩原朔太郎の像と前橋文学館と地元おばちゃん。
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昭和の雰囲気を醸し出す弁天通商店街、中央通商店街を自転車で駆け抜けて、JR前橋駅に戻りました。
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両毛線で、ふたたび桐生駅へ。
昨日と同じところに、別のわたらせ渓谷鐵道の車両が停まっていました。
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桐生でも、レンタサイクルをお借りしました。
こちらは観光客が主な対象のようで、貸し出しは無料!
しかも、電動アシスト付!
不肖、私、生まれて初めて、まともに電動アシスト付自転車に乗らせていただきました。
まず一気に電動パワーで街中を北上し、群馬大学理工学部キャンパス内の同窓記念会館を訪ねました。
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その後、重伝建地区の通りを南下しながら、建物を見て回りました。
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JR桐生駅に戻り、両毛線の普通電車に乗って、岩舟駅を訪ねました。
知る人ぞ知る、アニメの「聖地」のひとつです。
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岩舟から両毛線で小山まで行き、水戸線に乗換えて水戸に到着。
この日は、水戸のビジネスホテルに宿泊しました。
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「北関東ひとり旅行(その3)」につづく>
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おせち

2016/01/01 02:03
今年の我が家のおせちです。
これまでと少し中身が変わりました。
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